SFでも宇宙人とのファーストコンタクトがテーマの作品が多い中、地球人同士のファーストコンタクトも気になったのでフィクション、ノンフフィクション問わずまとめました。
また不平等条約をどう乗り越えたのかについても文献をまとめて行きます。
アニメ作品
作品名 | 時代/内容 | 作者 | リリース |
アンゴルモア元寇合戦記(上) アンゴルモア元寇合戦記(下) | 鎌倉時代元寇が舞台。 死罪となる予定の流人に最前線での死闘を命じられたと言う設定。 | ||
目次
映画作品
作品名 | 時代/内容 | 作者 | リリース |
天平の甍 | 井上靖 | ||
おろしや国酔夢譚 | 江戸時代・中期1782年江戸幕府は鎖国している中で日本人の船頭・光太夫含む一行17名が米を伊勢から江戸に運ぶ際、遭難。漂流200日目島を発見。248日目で丘に上がる。生存11名。 異国とのファーストコンタクト時は武装兵に囲まれたがはやし歌を歌って踊って怪しまれないようにしたらしい。 接触したのはオロシア(旧ロシア帝国)という国の人で国を離れて働きに来ていたらしい。 その後ロシア語を覚え、その地域一帯の海がまもなく凍り猛吹雪になることを知る。 そして帰国許可を得る目的のためにモンゴル近くのシベリア総督府のあるイルクーツクまでソリで5ヶ月もかけて極寒の中旅をすることになる。 その中で病気になったり凍傷になったり犠牲者は増えていった。 イルクーツクへ到着するが帰国許可はなかなか降りず日本語を教える役人になれと言われる。それまでも漂流民で帰国できた日本人はいなかった。 凍傷で足を失った仲間はロシア正教の洗礼を受けキリスト教禁止の日本には戻れなくなった。 その後知り合いになったロシア人のキリル・ラクスマンが色々協力してくれて首都ペテルブルクのエカチェリーナ2世に拝謁し(この段階で生存者5人)、許可をもらえて遭難してから9年後に最後3人だけになってロシアのエカテリーナ号で帰国する話。 その時の使節団にキリル・ラクスマンの息子アダム・ラクスマンが同行している。 しかしその後待っているのは罪人みたいな扱いで運ばれていった。 その12年後約束通りロシアからの使節ラザノフが長崎に来る。 大黒屋光太夫(出演:緒方拳) ==== おすすめVOD U-NEXT公式サイトはこちら | 原作:井上靖 監督:佐藤純彌 | 1992年 |
EAST MEETS WEST | 江戸時代・後期 幕末1860年に大老・井伊直弼によってアメリカのブキャナン大統領との通商条約批准のための幕府使節団咸臨丸が渡米した時が舞台。 司令として軍艦奉行・木村芥舟と艦長・勝麟太郎以下96名。その中には通訳としてジョン万次郎、軍艦奉行従者・福沢諭吉の姿もあった。38日目にサンフランシスコに到着。 正使・新見正興、副使・村垣、監察・小栗以下77名はアメリカ軍艦ポーハタンに乗りハワイを経由し47日目にサンフランシスコに到着。 この途中に井伊大老は暗殺される。 サンフランシスコは典型的な西部の町になっていた。 その後一行はパナマ海峡を経由してワシントンD.Cに行く予定になっていた。 しかし途中で持ってきた千両箱1万ドル相当を銀行に預ける前に強盗ガス・テイラーに盗まれてしまう。 強盗を追っている通弁見習いの水戸浪士・上條健吉(出演:真田広之)は本攘夷派で使節団の命を狙い敵討ちを果たそうとするため目立たないように丁髷を切り落とす。 同じく強盗を追っていた勝が連れてきた木村のお庭番の為次郎(演出:竹中直人)は牢屋破りなどが出来る忍者だが戦闘も格闘技も弱いが、刺客・上條を阻止すべく追っかけることになるが好戦的なアメリカ先住民インディアンを前になぜか上條を助け、上條も為次郎を助ける形で展開していく。 使節団そのものの詳細はあくまで背景にすぎないのか語られず、上條と為次郎を主役にした西部劇ストーリーになっており、為次郎は強盗を倒して3000両を咸臨丸に返し、為次郎は恋人関係になったインディアン女性と共にインディアン酋長として生き、上條の行方も日本には戻らず分からないことになっている。 ==== おすすめVOD U-NEXT公式サイトはこちら | 監督:岡本喜八 | 1995年 |
名セリフ
おろしや国酔夢譚
キリル・ラクスマン「君は帰るべきだ。仲間のためにも。日本とロシアのためにも。先頭に立つ者は孤独で苦しい。だが誰かが先頭に立たねば。」
小説作品
作品名 | 時代/内容 | 作者 | リリース |
ジャガーになった男 | 江戸時代・初期 支倉常長の使節団でスペインに渡った仙台藩侍の話。 スペインではハポン姓の支倉常長の使節団の子孫を名乗る人達が現実にいるらしい。 第6回小説すばる新人賞受賞作。 | 佐藤賢一 | |
三浦按針の生涯・航海者(上) 三浦按針の生涯・航海者(下) | 江戸時代・初期 徳川家康の旗本イギリス人のウィリアム・アダムスの生涯。 3代目将軍家光の時代に鎖国制度が取られオランダと中国と出島のみで交易する方針になるがそれ以前には幕府の家臣に外人もいた。 | 白石一郎 | 2005年 |
大黒屋光太夫(上) 大黒屋光太夫(下) | 井上靖氏の小説以後に発見された資料を元に執筆された大黒屋光太夫の小説。 井上靖氏のは罪人扱いであったのがもっと良い待遇で自由に生きていた。 | 吉村昭 | |
北槎聞略(大黒屋光太夫ロシア漂流記) | 大黒屋光太夫と磯吉から聞き取った情報を元に編纂された江戸幕府側の資料。 将軍家斉の名により桂川甫周が編纂したが幕府直轄の機密資料とされ一般には流布しなかった。 桂川は江戸時代中期から後期の医師、蘭学者。代々将軍家に仕えた奥医師らしい。 日本近海もしくはロシア側の事情を知る資料としては秀逸。しかし日本側の事情はあまり書いていない。 | 桂川甫周 | 1990 |
日本滞在日記―1804‐1805 | 大黒屋光太夫と磯吉を返しに来てその時に約束した通り長崎に通商を求めて親書持ってやってきたレザノフの日記。 将軍家斉も松平定信ですら通商条約結んでも良さそうな感じだったのが、老中達が反対し朝廷まで談判して揉み消されたことが明かされる。 | レザノフ | 2000 |
日本幽囚記I ゴロヴニン艦長の手記 1811,1812及び1813年 日本幽囚記Ⅱ ゴロヴニン艦長の手記 1811,1812及び1813年 日本幽囚記 III日本国と日本人論 | レザノフが長崎に来てから数年後、ロシア皇帝の命令により日本近海を調査して捕えられて幽閉された艦長による手記。 | V. M. ゴロヴニン | 2018 |
漂巽紀畧(全現代語訳) | ジョン万次郎が漂流して渡米して帰国するまでの話とその後の話が挿絵付きでまとめられている。 特に風俗文化衣食住について詳しい。 小説ではなくノンフィクション史実に最も近いものでかつ読みやすく現代訳されているのでオススメ! 万次郎はその後士分が与えられ土佐藩士に取り立てられ、その後幕府の旗本にも取り立てられることになり、条約批准のための使節団の咸臨丸にも通訳として同行している。 | ジョン万次郎 | |
中濱万次郎―「アメリカ」を初めて伝えた日本人 | ジョン万次郎曾孫の著者だから知っている貴重な情報が書かれている。 特に帰国時に具体的に万次郎が考えていたことや、琉球から薩摩に向かった時藩主島津斉彬の指示で蒸気船の模型を作る協力をしていたことや万次郎がアメリカのスパイになりうることを心配されて日米交渉が英語でなく古いオランダ語を通して行われたことなども明かされる。 万次郎の子孫はその後医者になっているらしい。 | 中濱博 | 2005 |
ペリー提督日本遠征記 (上) ペリー提督日本遠征記 (下) | 日本史の教科書でお馴染みのペリーが日本をどう見ていたのかが分かる貴重な資料。 ペリーの黒船は第1回目4隻、2回目7隻でやってきた。 | M・C・ペリー | 2014 |
阿部正弘 挙国体制で黒船来航に立ち向かった老中(戎光祥選書ソレイユ011) (戎光祥選書ソレイユ 011) 新書 | 江戸幕府幕末におけるエリート中のエリート老中首座の阿部正弘あっての薩摩藩主・島津斉彬、幕臣ジョン万次郎であり、島津斉彬あっての西郷隆盛であると言うことが分かる。彼は25歳でそれまでの中で一番若い老中だったらしい。 彼は前任の水野忠邦とは親しまず距離を取りつつ政治的に巧みに隠居させた。 水野は辞任後在任中の不正を問われ失脚する。 また驚くべきことにその2年以内に27歳で老中首座についている。 彼は薩摩藩とも関係が深く、彼が長生きをしていれば幕府は滅ばなかったとも言われているし、反対に倒幕の原因を作った人と言う人もいる。 惜しくも40歳を前に亡くなっている。 この本はどちらかと言うと日本史の研究資料的な側面が強い。 政治家として見ても先見の明だけでなく本音と建前を上手く使い分けた人として勉強になるかもしれない。 | 後藤敦史 | |
安政維新 阿部正弘の生涯 | 阿部正弘を主人公とした小説 | 穂高健一 | |
阿部正弘 日本を救った幕末の大政治家 (PHP文庫) | 阿部正弘を主人公とした歴史小説 | 祖父江一郎 | |
叛骨 陸奥宗光の生涯(上) 叛骨 陸奥宗光の生涯(下) | 不平等条約の一つである治外法権を解消した外交官陸奥宗光の伝記。 紀州藩士の生まれで勝海舟や坂本龍馬の影響を大きく受けていたらしい。 | 津本陽 | 2020 |
骨肉 | 小村寿太郎をその次男が語る。 第16回宮日出版文化賞。 | 小村捷治 | 2005 |
小村寿太郎―近代随一の外交家その剛毅なる魂 | 岡田幹彦 | 2005 |